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山田 長政(やまだ ながまさ)は、江戸時代初期にシャム(現在のタイ)のアユタヤ日本人町を中心に東南アジアで商人・軍人として活躍した人物。通称は仁左衛門(にざえもん)。『異国日記』では山田仁左衛門尉長正という署名が記録されている。 もとは沼津藩の駕籠かきであったが、朱印船に乗りシャムへ渡航、日本人町の首領として貿易やシャム・江戸幕府間の外交の仲介に従事した。日本人兵士の軍事力を動員した功績により、ソンタム王の信任を得て最高位の爵位を与えられ、オークヤー・セーナピモックと称した。ソンタム王の死後、王位を狙う貴族・オークヤー・カラホムと対立。リゴール長官として地方に派遣されパタニ王国と戦ったが、王位に即いたカラホムの息の掛かった者に毒殺されたという。 その生涯を伝える史料は日本・オランダのものがほとんどで、タイの史料には言及がないため、非実在説も唱えられる。日本ではシャムの王女を妻として国王の跡を継いだという伝説を生んだほか、近代には南進論が国策とされる中で修身の教科書の題材となって顕彰された歴史もある。現在のタイでは日本ほど著名ではないのに加え、タイの政治に干渉した外国人として低い評価がされる傾向もある。